生母が政宗の正室・愛姫(陽徳院、田村清顕の娘)である。庶長子であった兄・秀宗は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣に父・政宗とともに参陣し、戦後、大御所徳川家康から参陣の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として継ぎ、その初代藩主となった。そのため、本家の後継者と定められた。幼名は虎菊丸。1636年(寛永13年)、父・政宗の死去に伴い、38歳で家督を相続する。
忠宗は徳川氏から妻を迎えて幕府との関係を強めると共に、仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため、『守成の名君』と評された。1658年に死去、享年60。
法名:大慈院殿義山崇仁大居士。墓所:宮城県仙台市青葉区霊屋下の伊達家墓所である感仙殿。
評定役と目付役を設置し、家中法度を制定して藩内を引き締めた。また総検地を実施し、貢租制度を整備して藩の支配体制を確立する。政務や生活の利便化を目的として二の丸を造営し、承応3年(1654年)には東照宮を6年かけて勧請、遷宮した。忠宗の実施した買米制度は、江戸の米価が高騰した6代目伊達吉村の折に藩財政の助けとなった。
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1611年(慶長16)12月13日、元服し、2代将軍徳川秀忠より一字を賜り、忠宗と名のる。正五位下美作守に叙任。
1616年(元和2)10月2日、従四位下に昇叙し、侍従兼任。
1624年(寛永元)6月23日、越前守に転任。侍従如元。
1626年(寛永3)8月19日、左近衛権少将に転任。越前守如元。
1636年(寛永13)7月、陸奥国仙台藩主となる。
1639年(寛永16)4月14日、陸奥守を兼任。越前守任替。