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陰陽道の祭祀概略

陰陽道自体が時代毎に多様化したのに伴いその儀礼もまた一様ではない。他教との影響関係等も含め陰陽道の儀礼は未だ研究の途上にあるため具体的に述べることは難しい。伝来当初はいわゆる呪禁道の影響も強かったであろうと考えられる。『延喜式』「陰陽寮」には宮中における陰陽師の司った祭りの記録が見える。それによれば儺祭(節分・鬼やらい)や庭火・竈神の祭、御本命祭、三元祭などが挙げられている。このうち儺祭では陰陽師が(壇に)進んで祭文を読むとあるが、この祭文は前半が中国語(漢字)で構成された音読部分であり、後半が祝詞のように万葉仮名の振られた訓読部分となっている。また、中世の『文肝抄』には幾つかの陰陽道祭の概要が述べられているが、陰陽道の祭儀は大・中・小法からなり、状況により使い分けていたようである。

陰陽道の代表的な祭儀といえば、人の寿命を司る泰山府君を祭る泰山府君祭や天皇の即位毎に行われた天曹地府祭などを挙げることができるが、『文肝抄』にはこの他五帝四海神祭や北極玄宮祭、三万六千神祭、七十二星鎮祭、西嶽真人祭、大将軍祭、河臨祭、霊気道断祭、招魂祭等種々の陰陽道祭があったことが記され、幾つかは祭文が伝存している。


陰陽師が用いた道具・呪法など [編集]
九字(くじ)
陰陽道で用いられたとされる呪文の一種。一般には「臨兵闘者皆陣列在前」の九字を言い、結印したり四縦五横に切る所作を伴う。現在のところ「九字」の初見は葛洪『抱朴子』「登渉篇」とされるが、同書では末尾が「在前」ではなく「前行」となっており、入山時に唱える「六甲秘祝」として呪のみが載る。したがって九字の呪、四縦五横に切る所作、結印の所作は別個に形成されたものと考えられる。なお、四縦五横に切る所作自体は道教経典等にも見え古くから存在しているが、結印の所作は見えない。結印の所作は恐らく我国伝来後、密教或いは修験道が受容する中で付加されたものであろう。
 なお、陰陽道における九字では、古いものでは鎌倉期の陰陽道の反閇儀礼を伝える文献に四縦五横に切りながら「朱雀・玄武・白虎・勾陳・帝后(?)・文王・三台・玉女・青龍」を唱えるものがある。現存する文献では身固や反閇の際に用いられたことがうかがえる。
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「急急如律令」
元来は、中国漢代の公文書の末尾に書かれた決り文句で「急いで律令の如く行え」の意。本来は「急」の字は「ロ(口編)」がつく。道家が呪文に取りいれたものを陰陽師も用いたものであろう。なお、密教や修験道においても「急々如律令」の呪は用いられる。
六壬式盤(りくじんしきばん・りくじんちょくばん)
六壬式占によって吉凶を判断するための道具で、地を表す「輿(よ)」と呼ばれる方形の台座と、天を表す「堪(かん)」と呼ばれる円形の天盤で作られている[3]。地盤には、二十八宿、十干、十二支、四隅の八卦が記載され、天盤には十二月将等が記載されている。天盤の十二月将を地盤の十二支に合わせることで、簡易な計算を行ったのと同じ効果が得られる。式盤は栻(ちょく、木偏に式)とも呼ばれる。正しく作成するためには、輿である地盤には雷に撃たれた棗の木、堪である天盤には楓(ふう)にできるコブである楓人を使用する。
渾天儀(こんてんぎ)
天文上の変異知るために天文観測に用いた道具で、指標となる星の運行の組み合わせや配置を観測した。特に本来はあってはならない箒星(ほうきぼし=彗星のこと)が現れると大災や天変地異が起こるとされた。
呪符・霊符
陰陽師が用いたとされる、種々の紋様や呪文を記載した護符。俗に「 セーマン(晴明桔梗・晴明紋・五芒星・ペンタフラマ・ペンタゴン)」や「ドーマン(九字格子)」と呼ばれる図形を記すものも多い。他にも「鎮宅七十二霊符」や「×」・「篭目」・「渦巻」・「六芒星」や、「急急如律令」の呪文を文字で書きつけたものなど数多くの呪符がある。
 元来中国で用いられていたものが伝来したものと考えられるが、我国における護符の歴史は未だ解明されていない部分が多く、古くは藤原京跡などから「急々如律令」の呪句を書き付けた呪符木簡等が出土しており、奈良時代にはすでに活用されていたらしい。古い資料はほとんど残っておらず、たとえば平安当初にどのような呪符が用いられていたか等は不明な点が多い。
太上神仙鎮宅霊符
『太上秘法鎮宅霊符』「鎮宅七十二道霊符」等とも呼ばれる七十二種の護符。現在の所、道蔵の『太上秘法鎮宅霊符』が原典とされ、中世初期に伝来したものと考えられている。陰陽道に限らず仏教、神道などの間でも広く受容された。この霊符を司る神を鎮宅霊符神というが、元来は道教の玄天上帝(真武大帝)であると考えられている。玄天上帝は玄武を人格神化したものであり、北斗北辰信仰の客体であった。それ故日本へ伝来すると妙見菩薩や天之御中主神等と習合し、星辰信仰に影響を与えている。星辰信仰の客体であり、また八卦が描かれるため陰陽道では受容しやすかったものと思われる。
 近世には七十二種を一枚に刷った「鎮宅霊符」が各地の妙見宮や霊符社から出され、軸装して祭られていた。なお、土御門神道の祭神は現在泰山府君、鎮宅霊符神、安倍晴明が主神である。楠正成や加藤清正なども鎮宅霊符神の熱心な信者であったとされる。
鎮宅霊符神を祭る主な社寺は関西圏に多い。
群馬県:達磨寺
福井県:天社土御門神道本庁
京都府:曙寺(閑臥庵)、行願寺(革堂)、松山不動寺等
大阪府:星田妙見宮(小松神社)、大阪天満宮、堀越神社、報恩院、鎮宅霊符神社(東大阪)、妙法寺(今里)等
奈良県:鎮宅霊符神社(陰陽町)、信貴山成福院等
人形(ひとかた、ひとがた)
形代(かたしろ、かたじろ)、撫物(なでもの)とも言い、紙や木材・草葉・藁などで人の形に作られ、それにより患部等を撫でることによって自分の穢れをこれに移しつけて祓うのに使われるもので、流し雛の風習はこれを元としている。一方で人形に相手の名前等を記し、その人形を傷つけるなどして、相手に事故死や病死などの重大な災いをひき起こす呪いとして用いたり、男女二体の人形を一つにし祈祷することで恋愛成就を祈るなど、様々な祈祷儀礼に広く見られる。丑の刻参りの藁人形が有名。
式神(しきがみ)
陰陽師が使役したとされる使役神を言う。「識神」「しきのかみ」「式(しき)」とも。「式神」の解釈は密教の護法童子に似たものであるとか、精霊を使役するものであるとか諸説存在するが、最も有力なのは陰陽道で用いられる「六壬式盤(りくじんしきばん)」に由来するとの説であろう。陰陽師にとって占具である式盤は最も身近な存在であり、天盤と地盤は合して宇宙そのものを表す。それ故強大な呪力を持つとの信仰が少なくとも密教側の史資料には散見され、「都表如意輪法」等のように、陰陽道の式盤によく似たものを作成し、一種の呪具と見做し祈祷することで種々の利益を得るとする信仰があった。そうした資料の中には「式神」を呼び出す旨が記されるものもある。
身固(みがた)め
陰陽道の護身作法の一種。
禹歩(うふ)
足で大地を踏みしめて呪文を唱えながら千鳥足様に前進して歩く呪法を指す。基本は北斗七星の柄杓方を象ってジグザグに歩くものであるが、九宮八卦の九星配置を象って歩くやり方や、片足を引きずりながら歩いて地面に図形を描くといったものもある。名前の通り、中国の禹が治水のために中国全土を踏破したけっか、遂には足を引きずりながらあるくようになったという伝説にちなんだものである。魔を祓い地を鎮め福を招くことを狙いとしていおり、ドーマンの九字と同様、葛洪に『抱朴子』には薬草を取りに山へ踏み入る際に踏むべき歩みとして記されていることが起源である。奇門遁甲における方術部門(法奇門)では、術を成功させるために行われていた。
反閇(へんぱい)
道中の除災を目的として出立時に門の前で行う呪法。自分自身のために行うこともあるが、多くは天皇や摂関家への奉仕として行われた。反閇では最初に玉女を呼び出して目的を申し述べる。呼び出すときには禹歩を踏む。最後は6歩歩いて振り返らず出発する[4]。
泰山府君祭
元来は道教の祭祀。
刀禁呪
元来は道教の呪文。
浄心呪
元来は道教の呪文。
浄身呪
元来は道教の呪文。
浄天地呪
元来は道教の呪文。

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2009年04月02日 17:44に投稿されたエントリーのページです。

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