2009年06月22日

人類学者ロバート・レッドフィールドは

1941年に人類学者ロバート・レッドフィールドは「民族の社会」から「都市社会」までの移行について記した。1940年代までにレズリー・ホワイトとジュリアン・ストワードのような文化的な人類学者がいっそう科学的な基礎の上に進化のモデルを復活させようと努めて、そして社会文化的進化論として知られている研究を立ち上げることに成功した。

ネオ進化論は近代の多系進化のシリーズの最初の理論である。それは1930年代に出現して、そして第二次世界大戦の後に続く期間に広範囲に発展して、そして1960年代に人類学と社会学両方に取り入れられた。それは考古学、古生物学と歴史学方法論の分野からの経験的な証拠の上にその理論の基礎を置いて、そして道義的であるか、あるいは文化で、その代わりに客観的で、そしてただ記述的なままでいようとして値のシステムに対するどんな言及でも排除して、それ自身であろうとする。

その進化の過程の一般原則を与えることによって、19世紀の進化論 が文化がどのように発達するか説明した間に、それは早い20世紀について同じぐらい非科学的で歴史上の個別主義者(Particularists)によって退けられました。 それは進化の思考を持って戻ってきた新進化思索家であって、そして現代の人類学にとって受け入れられるためにそれを開発しました。
ボディビルディング
芸術
原子力工学
グラフィックデザイン
楽譜
インダストリアルデザイン
太陽系
マラソン
風水
北海道
肥満
インディアカ
核医学
ゴルフ
性行為感染症
ポリマー
デング熱
電子工学
色素性乾皮症
農業工学

新進化は、それほど前の社会学の発展関連の理論で最有力の古典の社会進化論、すなわち、社会の進歩のそれの多くの考えを捨てる。その時、新進化が因果律議論を捨てて、そして、事故と自由意志が社会進化の過程にたくさんの影響を与えると論じて、蓋然性を導入します。 それは同じく反事実的条件文の歴史をサポートする。「何のもし」に尋ねることと、だまされて、そして次の通りで異なった可能な道のそれほど社会の進化がそうするかもしれません(あるいはそうしたかもしれない)と思うことは種々の文化が異なった方法で発達するかもしれないという事実、他の人たちが通過した若干のスキップしている全部のステージを可能にします。ネオ進化論は経験的な証拠の重要性を強調します。19世紀の進化論が価値判断と仮定をデータを翻訳するために使った間に、 ネオ進化論が社会文化的進化のプロセスを分析するための測定可能な情報に頼った。

レズリー・ホワイト、文化の発展の著者: Civilization の展開はローマ(1959)の没落に、人類の全部の歴史を説明している理論を作ろうと試みました。 彼の理論で最も重要な要因は技術です:社会のシステムが技術的なシステムによって決定されます、と彼の本[5]でのホワイトが、ルイス・ヘンリー・モーガンのより以前の理論に共鳴して、書きました。 社会について進歩を測るように、彼は社会のエネルギー消費の処置を提案しました。 彼は人間の開発の5つの段階を区別します。 最初で、人々が(彼・それ)ら自身の筋肉のエネルギーを使います。 秒で、(彼・それ)らは飼い慣らされた動物のエネルギーを使います。 サードで、(ホワイトがここで農業革命に言及するように)、(彼・それ)らはプラントのエネルギーを使います。 4回に、(彼・それ)らは天然資源のエネルギーを使うことを学びます:石炭、オイル、ガス。 5回に、(彼・それ)らは核エネルギーを利用します。 ホワイトはEが消費されるエネルギーの基準である処方箋、P = E * T、を紹介しました、そしてTがエネルギーを利用するテクニカル要因の効率の法案です。 この理論はロシアの天文学者ニコライ Kardashev の Kardashev スケールの後の理論に類似しています。

2009年06月05日

御家人(ごけにん)は、征夷大将軍の家人である

御家人(ごけにん)は、征夷大将軍の家人である武士の身分を指す語であるが、中世と近世では意味合いが異なる。

平安時代には、貴族や武家の棟梁に仕える武士を「家人」と呼んでおり、鎌倉幕府が成立すると鎌倉殿と主従関係を結び従者となった武士を、鎌倉殿への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになった。鎌倉殿御家人、関東御家人、鎮西御家人とも言う。

御家人の成立は、源頼朝による鎌倉幕府の樹立と密接に関連する。流人だった頼朝の家人はごくわずかであり、1180年の挙兵の際、父源義朝の家人だった南関東の武士たちを「累代の御家人」として誘引したが、当時の観念では主従関係は個々に結ぶものであり、頼朝に従属しない武士も多かった。その後、鎌倉に東国政権を樹立すると、各地の武士が続々と頼朝支配下へと入っていった。急速に増加した支配下の武士を秩序だって組織化するため、以仁王の令旨が利用された。すなわち、令旨に従って頼朝の支配に入った武士は、一律に「御家人」として組織された。

治承・寿永の内乱期には、本拠である関東のみならず、各地の武士をより多く御家人として組織化する必要があったため、平氏追討に従う武士を御家人として認定し本宅を安堵する「本宅安堵」が多く行われた。関東の御家人の多くが頼朝の所領安堵を通じて御家人となっていたのに対し、本宅安堵の御家人に所領安堵する権限を有していたのは荘園領主たる本所や国司だったため、頼朝は本所・国司の権限を侵すことなく、地位を安堵することで御家人を組織したのである。
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このように御家人は、鎌倉殿から直接、所領安堵を受ける御家人と、本宅安堵を受ける御家人に分けられる。前者には東国に在住し、早い時期から頼朝に臣従していた者が多い。地頭職に補任されるなどの厚い保護を受ける見返りに、有事には緊急に鎌倉に参集する義務を負っていた。後者は、国を単位に編成され、「国御家人」と呼ばれた。治承・寿永内乱終結後は、大番役への催促を通じて各地武士の国御家人化が進められ、西国武士の多くがこれにより国御家人へ編成された。国御家人を統括するのは守護の任務であり、大番役を催促するとともに、大番役勤仕の御家人名簿を幕府へ提出していた。

御家人は、上記のとおり直接所領安堵・本宅安堵の区分のほか、広大な所領を持ち数カ国の守護を兼ねる有力御家人から、ごく狭い所領しか持たない零細な御家人まで大小さまざまな規模であったが、鎌倉殿に等しく従属する家人として身分上は同格として扱われた。頼朝以来、御家人相互の主従関係・支配関係は厳しく禁じられ、特に朝廷と直接の関係を結ぶことは厳禁された。

2009年05月01日

生母が政宗の正室・愛姫

生母が政宗の正室・愛姫(陽徳院、田村清顕の娘)である。庶長子であった兄・秀宗は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣に父・政宗とともに参陣し、戦後、大御所徳川家康から参陣の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として継ぎ、その初代藩主となった。そのため、本家の後継者と定められた。幼名は虎菊丸。1636年(寛永13年)、父・政宗の死去に伴い、38歳で家督を相続する。

忠宗は徳川氏から妻を迎えて幕府との関係を強めると共に、仙台藩の地位と基盤固めに務めて大いに功績を残したため、『守成の名君』と評された。1658年に死去、享年60。

法名:大慈院殿義山崇仁大居士。墓所:宮城県仙台市青葉区霊屋下の伊達家墓所である感仙殿。

評定役と目付役を設置し、家中法度を制定して藩内を引き締めた。また総検地を実施し、貢租制度を整備して藩の支配体制を確立する。政務や生活の利便化を目的として二の丸を造営し、承応3年(1654年)には東照宮を6年かけて勧請、遷宮した。忠宗の実施した買米制度は、江戸の米価が高騰した6代目伊達吉村の折に藩財政の助けとなった。

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1611年(慶長16)12月13日、元服し、2代将軍徳川秀忠より一字を賜り、忠宗と名のる。正五位下美作守に叙任。
1616年(元和2)10月2日、従四位下に昇叙し、侍従兼任。
1624年(寛永元)6月23日、越前守に転任。侍従如元。
1626年(寛永3)8月19日、左近衛権少将に転任。越前守如元。
1636年(寛永13)7月、陸奥国仙台藩主となる。
1639年(寛永16)4月14日、陸奥守を兼任。越前守任替。

2009年04月17日

法の下の平等および人権との矛盾 [

天皇および皇族は、職業選択の自由や居住移転の自由、言論の自由など自己決定権にかかわる多くの人権を制限されており、また、プライバシーを侵害されることもあることから、これら非自然人的立場から解放するためにも天皇制そのものを廃止すべきだと主張する立場(この思想は天皇解放論とも呼ばれる)。

このことで「皇室は治外法権」という指摘もある。平成期の廃止論はこれが主流である。。天皇制を含め君主制は人権侵害だという批判の例として以下が挙げられうる。天皇・皇族はマスコミに追い回されて仮にいやな思いをしても笑顔を絶やさないことが求められる。

イギリス王室の子息はスパルタ教育の寄宿生学校やサンドハースト陸軍士官学校に入れられ、戦時には最前線に出征することが求められる。また、エリザベス女王は王位継承権第1位に決まったとき、人前で感情を露わにすること(声を出して笑ったり泣いたり)が禁じられたなどである(『世界ふしぎ発見』で扱われた)。

さらに、フィクションではあるが『ローマの休日』の王女が過密スケジュールと自由のない生活でヒステリーを起こしたこともこのような例を象徴している。

封建制・身分制の名残への反発 [編集]

特定家系への敬意の押し付けは国民を大日本帝国憲法下での臣民とさほど変わらぬ位置に置くのと等しく、時にはそのために批判が行いにくい状況が発生することを危惧する立場。また、皇室の家族制度のあり方が旧民法の家制度と同一とする立場である。

日本国憲法において天皇の地位は「日本国及び国民統合の象徴」(第1条)であると規定されているが、日本国民の平均的な生活とおよそ懸け離れた生活を送っている天皇を「日本国の象徴」とすることや「天皇」という身分が世襲によって受け継がれることを疑問とする意見もある。部落解放同盟の指導者松本治一郎は「貴族あれば賤族あり」と言っている。

平等性の観点 [編集]
国民が就職に苦労し、常に失業の危険に脅かされているのに比べ、天皇や皇族が生まれながらにして一定の職務と生活水準とを保障されているのは不平等であり(極端な形の世襲の“国家公務員”)、また、天皇一族のためのみに存在する宮内庁は公務員の地位について定めた日本国憲法第15条違反であると批判する立場。

税制の観点 [編集]
毎年、皇族の生活資金や公務費、約1000人存在する宮内庁の職員の人件費、また皇居の維持補修費などに巨額の税金が投入されており、その点を税金の活用方法として有効でない、または税金の無駄であると批判する立場。

宗教上の観点 [編集]
天皇は日本神話や神道儀礼と不可分一体の関係にあることから、天皇を国家体制の一部とすることは日本国憲法で保障された政教分離や信教の自由に違反すると批判する立場。ちなみに、天皇という呼称は神道では「スメラノミコト」、「スメラギノミコト」とも呼び、「スメラ=統べる」、「ミコト=カミ」、つまり「統べるカミ=統治、君臨するカミ」、という意味である。これが戦前の天皇制の最大の根拠であった。

宗教別にみると以下のような特徴が見られる。

仏教
仏教を開祖釈迦はシャカ族の王子として生まれたが、厳格な身分制度に嘆き出家して覚りを開いてカースト制度を否定したことで知られる。そのことから、仏教徒の一部には天皇制に反対する者がいる。
しかし、仏教国で君主制が続いている国も多く存在することや、仏教の僧侶が自分の子に住職の跡継ぎを期待する風潮。さらには、我が国への仏教伝来時から天皇、皇族、朝廷の長らく且つ多大な信仰、神仏習合の慣例により日本仏教が興隆しているので、その矛盾は否めない。
公明党の支持基盤の創価学会の創立者・牧口常三郎は戦前に治安維持法違反・不敬罪の容疑で逮捕され、取り調べで「国家が隣組その他それぞれの機関或いは機会に於いて国民全体に奉斉せよと勧めております処の伊勢大廟から出される天照皇太神大麻を始め明治神宮、靖国神社、香取鹿島神宮等その他各地の神宮・神社の神札、守札やそれ等を祭ってある例えば荒神様とか稲荷様、不動様という祠等一切のものを取払い、焼却破棄しています。(中略)もちろんこれ等の神宮神社仏寺等への祈願の為参拝することも謗法でありますから、参拝しない様に、謗法の罰は重いから、それを犯さないように指導しているのであります。」と述べた。
このように牧口は自らの信仰を守り、1944年11月に東京拘置所内で死んだ。
キリスト教
弓削達(元フェリス女学院大学学長)、福田歓一らキリスト教徒の学識者によって天皇制廃止論が唱えられた。
1927年創立のWatch Tower(日本燈台社:現在のものみの塔)の日本支部員の3名が1939年に召集され、「天皇は元来宇宙の創造主ヱホバに依り造られたる被造物にして、現在は悪魔の邪導下にある地上の一機関に過ぎざるが故に、天皇を尊崇し、天皇に忠誠を誓う等の意思は毛頭なき」ことなどを述べ、不敬罪に問われた[7]
神道
大本の「十二段返しの歌」という七五調の宣伝歌の四段目を右から左に読むと「綾部に天子を隠せり」、八段目を左から右に読むと「畏多くも、今の天子偽者なり」とあった。出口王仁三郎は不敬罪・治安維持法違反で起訴され、裁判では出口は関与を否定したが不敬罪で有罪となった。
教団の綾部・亀岡の聖地はダイナマイトで破壊された。逮捕された信者のうち16名が拷問で死亡した。大本事件参照。
イスラム教
イスラム教国、特にアラビア半島にはカリフ、スルタン、首長などと呼ばれる君主のもとで、いまだに選挙制度が導入されず、伝統的な専制君主制が続いている国が多い。しかしながら、日本の天皇との関連では、天皇は現人神とされたため、「いかなる場合においても神が人間として現れることはない」というイスラム教の考え方との矛盾が生じる。
戦前、日本がインドネシア(大半がイスラム教徒)を統治していたころ、皇居の方角へ向かって拝む「東方遥拝」を強制したため、国際的な批判があった。

キーワ マラガ エンドロ せきがく ゆずりは シリアス パンパ ミント 春紫苑 ヒッピ マスタ ビューロ シーア ネーム たこあし スミス ビリティ ニッパー パンチ メチエ マフラー ガビアル きがん デュープ ナップ キーポイ うぐい ラティーノ テキスト キミと僕 サイトリー バーミュ マティ たいこう トトス フォーク ジンキケロ バランス フラッペ ルネサ シンシティ メリット トーン ファントム ジャングル エレジー タンク タール 光夜宴 プルーフ

2009年04月02日

陰陽道の祭祀概略

陰陽道自体が時代毎に多様化したのに伴いその儀礼もまた一様ではない。他教との影響関係等も含め陰陽道の儀礼は未だ研究の途上にあるため具体的に述べることは難しい。伝来当初はいわゆる呪禁道の影響も強かったであろうと考えられる。『延喜式』「陰陽寮」には宮中における陰陽師の司った祭りの記録が見える。それによれば儺祭(節分・鬼やらい)や庭火・竈神の祭、御本命祭、三元祭などが挙げられている。このうち儺祭では陰陽師が(壇に)進んで祭文を読むとあるが、この祭文は前半が中国語(漢字)で構成された音読部分であり、後半が祝詞のように万葉仮名の振られた訓読部分となっている。また、中世の『文肝抄』には幾つかの陰陽道祭の概要が述べられているが、陰陽道の祭儀は大・中・小法からなり、状況により使い分けていたようである。

陰陽道の代表的な祭儀といえば、人の寿命を司る泰山府君を祭る泰山府君祭や天皇の即位毎に行われた天曹地府祭などを挙げることができるが、『文肝抄』にはこの他五帝四海神祭や北極玄宮祭、三万六千神祭、七十二星鎮祭、西嶽真人祭、大将軍祭、河臨祭、霊気道断祭、招魂祭等種々の陰陽道祭があったことが記され、幾つかは祭文が伝存している。


陰陽師が用いた道具・呪法など [編集]
九字(くじ)
陰陽道で用いられたとされる呪文の一種。一般には「臨兵闘者皆陣列在前」の九字を言い、結印したり四縦五横に切る所作を伴う。現在のところ「九字」の初見は葛洪『抱朴子』「登渉篇」とされるが、同書では末尾が「在前」ではなく「前行」となっており、入山時に唱える「六甲秘祝」として呪のみが載る。したがって九字の呪、四縦五横に切る所作、結印の所作は別個に形成されたものと考えられる。なお、四縦五横に切る所作自体は道教経典等にも見え古くから存在しているが、結印の所作は見えない。結印の所作は恐らく我国伝来後、密教或いは修験道が受容する中で付加されたものであろう。
 なお、陰陽道における九字では、古いものでは鎌倉期の陰陽道の反閇儀礼を伝える文献に四縦五横に切りながら「朱雀・玄武・白虎・勾陳・帝后(?)・文王・三台・玉女・青龍」を唱えるものがある。現存する文献では身固や反閇の際に用いられたことがうかがえる。
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「急急如律令」
元来は、中国漢代の公文書の末尾に書かれた決り文句で「急いで律令の如く行え」の意。本来は「急」の字は「ロ(口編)」がつく。道家が呪文に取りいれたものを陰陽師も用いたものであろう。なお、密教や修験道においても「急々如律令」の呪は用いられる。
六壬式盤(りくじんしきばん・りくじんちょくばん)
六壬式占によって吉凶を判断するための道具で、地を表す「輿(よ)」と呼ばれる方形の台座と、天を表す「堪(かん)」と呼ばれる円形の天盤で作られている[3]。地盤には、二十八宿、十干、十二支、四隅の八卦が記載され、天盤には十二月将等が記載されている。天盤の十二月将を地盤の十二支に合わせることで、簡易な計算を行ったのと同じ効果が得られる。式盤は栻(ちょく、木偏に式)とも呼ばれる。正しく作成するためには、輿である地盤には雷に撃たれた棗の木、堪である天盤には楓(ふう)にできるコブである楓人を使用する。
渾天儀(こんてんぎ)
天文上の変異知るために天文観測に用いた道具で、指標となる星の運行の組み合わせや配置を観測した。特に本来はあってはならない箒星(ほうきぼし=彗星のこと)が現れると大災や天変地異が起こるとされた。
呪符・霊符
陰陽師が用いたとされる、種々の紋様や呪文を記載した護符。俗に「 セーマン(晴明桔梗・晴明紋・五芒星・ペンタフラマ・ペンタゴン)」や「ドーマン(九字格子)」と呼ばれる図形を記すものも多い。他にも「鎮宅七十二霊符」や「×」・「篭目」・「渦巻」・「六芒星」や、「急急如律令」の呪文を文字で書きつけたものなど数多くの呪符がある。
 元来中国で用いられていたものが伝来したものと考えられるが、我国における護符の歴史は未だ解明されていない部分が多く、古くは藤原京跡などから「急々如律令」の呪句を書き付けた呪符木簡等が出土しており、奈良時代にはすでに活用されていたらしい。古い資料はほとんど残っておらず、たとえば平安当初にどのような呪符が用いられていたか等は不明な点が多い。
太上神仙鎮宅霊符
『太上秘法鎮宅霊符』「鎮宅七十二道霊符」等とも呼ばれる七十二種の護符。現在の所、道蔵の『太上秘法鎮宅霊符』が原典とされ、中世初期に伝来したものと考えられている。陰陽道に限らず仏教、神道などの間でも広く受容された。この霊符を司る神を鎮宅霊符神というが、元来は道教の玄天上帝(真武大帝)であると考えられている。玄天上帝は玄武を人格神化したものであり、北斗北辰信仰の客体であった。それ故日本へ伝来すると妙見菩薩や天之御中主神等と習合し、星辰信仰に影響を与えている。星辰信仰の客体であり、また八卦が描かれるため陰陽道では受容しやすかったものと思われる。
 近世には七十二種を一枚に刷った「鎮宅霊符」が各地の妙見宮や霊符社から出され、軸装して祭られていた。なお、土御門神道の祭神は現在泰山府君、鎮宅霊符神、安倍晴明が主神である。楠正成や加藤清正なども鎮宅霊符神の熱心な信者であったとされる。
鎮宅霊符神を祭る主な社寺は関西圏に多い。
群馬県:達磨寺
福井県:天社土御門神道本庁
京都府:曙寺(閑臥庵)、行願寺(革堂)、松山不動寺等
大阪府:星田妙見宮(小松神社)、大阪天満宮、堀越神社、報恩院、鎮宅霊符神社(東大阪)、妙法寺(今里)等
奈良県:鎮宅霊符神社(陰陽町)、信貴山成福院等
人形(ひとかた、ひとがた)
形代(かたしろ、かたじろ)、撫物(なでもの)とも言い、紙や木材・草葉・藁などで人の形に作られ、それにより患部等を撫でることによって自分の穢れをこれに移しつけて祓うのに使われるもので、流し雛の風習はこれを元としている。一方で人形に相手の名前等を記し、その人形を傷つけるなどして、相手に事故死や病死などの重大な災いをひき起こす呪いとして用いたり、男女二体の人形を一つにし祈祷することで恋愛成就を祈るなど、様々な祈祷儀礼に広く見られる。丑の刻参りの藁人形が有名。
式神(しきがみ)
陰陽師が使役したとされる使役神を言う。「識神」「しきのかみ」「式(しき)」とも。「式神」の解釈は密教の護法童子に似たものであるとか、精霊を使役するものであるとか諸説存在するが、最も有力なのは陰陽道で用いられる「六壬式盤(りくじんしきばん)」に由来するとの説であろう。陰陽師にとって占具である式盤は最も身近な存在であり、天盤と地盤は合して宇宙そのものを表す。それ故強大な呪力を持つとの信仰が少なくとも密教側の史資料には散見され、「都表如意輪法」等のように、陰陽道の式盤によく似たものを作成し、一種の呪具と見做し祈祷することで種々の利益を得るとする信仰があった。そうした資料の中には「式神」を呼び出す旨が記されるものもある。
身固(みがた)め
陰陽道の護身作法の一種。
禹歩(うふ)
足で大地を踏みしめて呪文を唱えながら千鳥足様に前進して歩く呪法を指す。基本は北斗七星の柄杓方を象ってジグザグに歩くものであるが、九宮八卦の九星配置を象って歩くやり方や、片足を引きずりながら歩いて地面に図形を描くといったものもある。名前の通り、中国の禹が治水のために中国全土を踏破したけっか、遂には足を引きずりながらあるくようになったという伝説にちなんだものである。魔を祓い地を鎮め福を招くことを狙いとしていおり、ドーマンの九字と同様、葛洪に『抱朴子』には薬草を取りに山へ踏み入る際に踏むべき歩みとして記されていることが起源である。奇門遁甲における方術部門(法奇門)では、術を成功させるために行われていた。
反閇(へんぱい)
道中の除災を目的として出立時に門の前で行う呪法。自分自身のために行うこともあるが、多くは天皇や摂関家への奉仕として行われた。反閇では最初に玉女を呼び出して目的を申し述べる。呼び出すときには禹歩を踏む。最後は6歩歩いて振り返らず出発する[4]。
泰山府君祭
元来は道教の祭祀。
刀禁呪
元来は道教の呪文。
浄心呪
元来は道教の呪文。
浄身呪
元来は道教の呪文。
浄天地呪
元来は道教の呪文。

2009年03月19日

グレーター・ブルー・マウンテンズ地域

グレーター・ブルー・マウンテンズ地域(- ちいき、Greater Blue Mountains Area)はブルー・マウンテンズ国立公園とその周辺の公園の公園の総称で2000年、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録。

グレーター・ブルーマウンテンズ地域は、91種ものユーカリが広範囲で自生する地域で、ここ以外には見られない非常に貴重な地域である。また、オーストラリア大陸が他の大陸と離れる前の痕跡を残す。気温が上昇するとユーカリに含まれる油が気化し空気中に広がり景観から反射する光の青のスペクトラムを相対的に良く通し、ブルーがかって見えることに由来する。
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ブルー・マウンテンズ国立公園(Blue Mountains National Park)
ウォレミー国立公園(Wollemi National Park)
イェンゴ国立公園(Yengo National Park)
ナッタイ国立公園(Nattai National Park)
カナングラ=ボーイド国立公園(Kanangra-Boyd National Park)
ガーデンズ・オブ・ストーン国立公園(Gardens of Stone National Park)
サールメア・レイクス国立公園(Thirlmere Lakes National Park)

2009年03月03日

攻撃は主にボタン一つだけで発生する通常技

攻撃は主にボタン一つだけで発生する通常技とボタンとレバーの操作を組み合わせることで発生する必殺技に分類される。通常技の攻撃力は押したボタンによって異なっており、一般的に弱→(中)→強とダメージが高くなると同時に隙が大きくなる(技前後の予備動作が長くなる)。

2D対戦型格闘ゲームでのボタン操作
2D対戦型格闘ゲームの最大手だったカプコンが制作したゲームの多くは『ストリートファイターII』に代表される6ボタン入力系を採用している(もともとは、前作『ストリートファイター』の汎用筐体向けのコンパネ仕様である)。上段の3つを左から順に弱、中、強威力のパンチに、下段の3つを同様にキックに割り当てている。この入力体系をカプコンとアリカ製のゲーム以外で採用したゲームは『カイザーナックル』『ファイターズヒストリー』など『ストリートファイターII』ブームに乗る形で出したゲームが多い。

2D対戦型格闘ゲームで同じく多く使用されたのは4ボタン入力系である。これは格闘ゲームを多く送り出したネオジオで使用できる最大ボタン数が4までだったこともある。4ボタンと一括してもその使用法はバリエーションが多く、中攻撃を削除し、パンチ、キックの弱、強に割り当てるもの(『餓狼伝説スペシャル』『ザ・キング・オブ・ファイターズ』など)、弱・中に割り当てて強攻撃を弱、中のボタンを同時に押すことで発生させるもの(『サムライスピリッツ』『ワールドヒーローズパーフェクト』など)、3ボタンを攻撃に割き(弱、中、強、パンチ、キック、強攻撃、弱攻撃など)、4ボタン目を何らかの特殊行動に割り当てるもの(『サムライスピリッツ 斬紅郎無双剣』『龍虎の拳』『ジョジョの奇妙な冒険』『MELTY BLOOD』『GUILTY GEARシリーズ』など)、等々、様々なものが存在する。

同時押しで強攻撃を発生させるタイプの場合、ゲームセンター側で5、6ボタン目を取り付けて弱、中ボタンの同時押しになるように改造し、6ボタン入力仕様にした筐体も散見された。また、4ボタンでは特殊動作をする際に同時押しを要求されることも多く、『餓狼伝説3』など格闘ゲームが進化していくにつれ直感的に分かりづらい煩雑な同時押しを要求されることも多かった。近年では、北斗の拳のように攻撃ボタンの4ボタンに加え、特殊動作に1ボタンを加え5ボタンにした作品も多い。

対戦型格闘ゲーム自体の元祖『ストリートファイター』では、感圧式のボタンが使用されていた。『ワールドヒーローズ』『龍虎の拳2』など、ボタンの押し具合によって強弱を使い分ける方式もある。

上段及び下段のパンチ、キックと、それらの中央にガードボタンを配置したもの(『モータルコンバット』)、3ボタンの構成がパンチ、キック、ジャンプとなっているもの(『ナックルヘッズ』)等がある。

3D対戦型格闘ゲームでのボタン操作
『バーチャファイター』に代表される3D対戦型格闘ゲームは、ガード・パンチ・キックの3ボタンで構成されるものが多い。パンチ・キックは1種類ずつしかないが、ボタンを特定の順番・タイミングで押す、特定の組み合わせで同時に押す、レバー入力と組み合わせるなどの操作で様々な技に派生させられる。「キックの威力はパンチの2倍」に従ってか、全体的にキックのほうが威力は高い。ガードボタン単体では攻撃には関わらないが、ボタンを攻撃のバリエーションとして使用することもある。

これの操作系をアレンジしたものとして、ドリームファクトリー製のゲームはパンチ・キックの代わりに上段攻撃・下段攻撃とし(上下同時押しで中段攻撃)、技の属性が直感的に分かりやすいようになっている。

その他の特徴的なものに、左右の手足に4つのボタンを割り当てたもの(『鉄拳』)、キャラクターが武器を持ち、縦横の武器を振る方向で構成されたもの(『ソウルキャリバー』『スターグラディエイター』など)、前・後のボタンで移動、レバーで攻撃する『武力 ?BURIKI ONE?』がある。

ガード
ガードは相手の攻撃を防御し、ダメージを完全に防ぐか最小限の被害に留める防御行動である。技による攻撃と同じぐらい重要な行動である。

2D対戦型格闘ゲームでのガード
2D対戦型格闘ゲームのほとんどと3D対戦型格闘ゲームの一部は、進行方向の逆にレバーを入力することでガードする。例えばキャラクターが右を向いている場合、左に入力するとガードになる。また、足下を狙う攻撃には左を入れてガードすることはできず(下段技)、左下を入力してガードする。また、ジャンプ中の攻撃は左下の入力ではガードできず、左を入れてガードする。

2D対戦型格闘ゲームにおいてはしゃがみ技に強力なものが多く、立ち技も下段ガード可能でジャンプ攻撃は下段ガード不能だが切り替えは比較的容易なため、しゃがみガードが防御の基本となる。地上での中段技(後述)を持っているキャラもいるが、そのほとんどがガード崩しのバリエーションにすぎないため、相手の動きに応じて中段技を意識はしつつ、ガードはしゃがみガードを中心とすれば基本的には安全である。だが、空中ダッシュなどでキャラクターが空中で機敏に動けるゲームではジャンプ攻撃が擬似的な中段技として機能することもあるため、一概にそうとは言い切れない。

3D対戦型格闘ゲームでのガード
3D対戦型格闘ゲームのほとんどは、レバー入力方向に応じず地上にいるときガードボタンを押すことでガードする。立っている時にガードボタンを押すと立ちガードになり、しゃがんでいる時にガードボタンを押すとしゃがみガードになる。但し『鉄拳』シリーズではレバーでガード動作を行う。

2D格闘ゲームと異なる点は、しゃがみガードできない「中段技」と呼ばれる技が多くあること(この中段技の元祖は2D格闘ゲームの『龍虎の拳』)で、それに比べしゃがみ攻撃は弱く、下段技も中段技に比べるとリスクやリターンでは劣っているものが多いため、3D格闘ゲームでは立ちガードが基本となる。しかし、隙の少ない上段攻撃はしゃがみで避けることができ、下段技も多用できる性能のため、2D格闘ゲームに比べて相手の動きに合わせて立ちとしゃがみを使い分ける機会は遥かに多い。また、先述のように2D格闘ゲームでもこのボタンガードを採用しているゲームもある。

投げ
投げは近くにいる相手をつかみ、名前の通り投げ飛ばしたり至近距離からの打撃をあたえる攻撃行動である。
ナビイサク シュレッ ながしの ステータス プロト イ短調 スプリ ジスト タープ ルテイン リストア スープ オプティ フェア マグナム プロトン メラノ プロローグ オール アップ ジボソン シュプ チャプチ レット サルコメア シアン ディア ピクチャ オムガイド インソ オーナ アマ ビルダー オペック バック らんこし ブエノス コッヘル フォー シルバー ビジホン たまごいろ パーマ ヒサカ ジャンル ハスキ アリスム 便利に生活 クロス バッファ

2D対戦型格闘ゲームでの投げ
通常投げ、コマンド投げ、移動投げ、対空投げ、空中投げ、打撃投げなどが存在する。

最大の特長はほとんどの投げ技が条件が成立していれば即可能で、通常の攻撃より出が早く前述のガードを無効化できる点であるが、相手との距離がきわめて近くないと投げられない、相手が攻撃を受けているモーション中は投げられないなどの条件が存在する。これは2D対戦格闘では攻撃することのリスクは低く、なんらかの技を出している・移動中の状態が多いため、密着状態にすること自体のリスクが高いからである。即ち、2D対戦型格闘での投げはガードを崩す裏の選択肢といえる。ただし、いわゆる投げキャラは打撃技等がイマイチな反面、コマンド投げが大ダメージであったりするため、主流の選択肢となる。

投げられる条件を満たさないまま投げ技の入力をしたり、入力から実際につかむまでに条件が解けたりすると、別の技が出たり投げ失敗のモーションになり、隙をさらすことになるゲームも多い。特に「投げ失敗モーション」は昨今の格闘ゲームにはもはや一般的なものになっている。

1990年代後半に「投げ抜け」という投げられたタイミングに特定の入力をすることで投げ掴みを捌くことができるシステムが導入され始め、昨今の格闘ゲームのほとんどに採用されている。2D格闘ゲームの場合、相手が使用したの投げのコマンドと似たボタン入力が求められることが多い([P投げ]に対して[P]、[→K投げ]に対して[→K]など)。また、一部のコマンド投げや通常投げ以外を「投げ抜け不可」としている格闘ゲームも多く存在する。

2009年02月12日

EVE new generation

generation(イブ ニュージェネレーション)は、2006年8月31日、角川書店から発売されたゲームソフトで、EVEシリーズ5作目。主人公は私立探偵「天城小次郎」と捜査官「法条まりな」。2人の主人公を操作しストーリーを進めていくマルチサイトアドベンチャーゲーム。同社刊の『コンプエース』で漫画化作品も連載された(藤真拓哉・画)。18禁要素を加えたPC版が発売された(発売元:タイレルラボラトリー(F&C系列))。更に、ストーリーに麻雀要素を加えた『EVE雀』も発売されている。
前作から数年後の世界。あまぎ探偵事務所所長「天城小次郎」と内閣情報調査室の捜査官「法条まりな」の2人の主人公がとある2つの点をきっかけにそれがやがて線となり絡みあいながらストーリーは進んでいく。マルチサイトシステムをフルに生かした作品。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

小次郎編
ある夜、倉庫街にある事務所に帰宅する途中、一人の少女に出会う。少女は彼が探偵だと知り、一つの依頼をもちかけてくる。「私の記憶を探してほしい・・・」その直後、外車から降りてきた男によって連れ去られてしまう。桂木弥生の協力を得て、少女の身元は判明した。名前は「乃依」。と同時に捜査線上に浮かび上がってくるいくつかのキーワード。蜂、ブラー、ラベイユ。一件無関係に見えるこれらの点もやがて1本のラインへと収束していく。そしてそのラインは小次郎をある場所へ導くことになる。

まりな編
ある夜、まりなはビルの屋上から飛びおりようとする青年を見つける。必至の説得を試みたものの青年は自殺してしまう。「計画は既に始まっている。もう誰にも止めることはできない」そういい残した青年の掌には蜜蜂のタトゥーが刻まれていた。青年の遺言を元に捜査を始めたまりなにふりかかる様々な障害。いつしかまりなは、何者かの陰謀によって殺人犯として警察から追われることになってしまう。愛用の銃はベレッタ1919 。

システム
マルチサイトシステム

EVEシリーズの基本とも言えるシステム。二人の主人公の視点から見るそれぞれのストーリーを、交互に切り替えながら進めていき、ひとつの事件を追っていく。所々に"ザッピングポイント"があり、一方のストーリーを進めているだけではゲームが進展しなくなる。その場合、もう一方のストーリーに切り替え、一定のポイントまで内容を進めなくてはならない。

他作品と異なる点

会話を進めるために様々なボタンを駆使して適切な答えを導きださなければならない。通常の考える・決定は○ボタン、調べるは□、話すは△と状況に応じてボタンを選ばなくてはいけないのだ。また方向キーで 見る方向や調べる方向を選択しながらボタンを選んでいく。

登場人物
声優は(PS2版/PC版)の順

レギュラーキャラクターは、EVEシリーズの登場人物を参照。

天城 小次郎(あまぎこじろう)声:子安武人/ワッショイ太郎
法条 まりな(ほうじょうまりな)声:三石琴乃/風音
桂木 弥生(かつらぎやよい)声:本多知恵子/かわしまりの
氷室 恭子(ひむろきょうこ)声:松井菜桜子/藤森ゆき奈
甲野 三郎(こうのさぶろう)声:野沢那智/魚田明

今作からの登場人物
紀瀬木 乃依(きぜきのい)声:名塚佳織/春日アン
記憶喪失の少女。「記憶を探してほしい」と小次郎に依頼を持ちかける。口数は少ないのだが、時折放つ言葉は刺々しく、 鋭い切れ味を帯びていたりもする。情緒不安定な傾向があるが、発作が治まると寡黙な少女に戻る。 黙っているときには人形のようにも見える。犬にはとりわけ強固な嫌悪感を持つ。
紀瀬木 アルト(きぜきあると)声:名塚佳織/春日アン
明るく無邪気で天衣無縫。純真無垢。喜怒哀楽が激しく、常に感情のおもむくままに行動する。わがままで生意気な女の子でも あるが、どこか憎めない愛嬌も持ち合わせている。そんな天真爛漫な印象の彼女ではあるが、実は心の奥底には深々とした傷痕が未だ癒えず残っており、彼女を呪わしいほどに苦しめている。
ミカエル・ベルシュタイン 声:中田和宏/東慎
ドイツの通信社GPA日本支局編集局社会部部長。現在、日銀幹部にまつわる黒い噂を追っているというが……。警察に追われるまりなの手助けをなにかとしてくれる。36年前にわが子を殺された辛い経験を持っている。
鐘本 美奈代(しょうもとみなよ)声:甲斐田裕子/甲賀忍
内調のエージェント。まりなの同僚ということになるが2人の関係は険悪。かつて1度だけ、まりなとパートナーを組んでいた。以来、2人の間には深い溝が存在する。
紀瀬木 エフィ(きぜきえふぃ)声:伊藤静/歌織
紀瀬木初海の娘であると同時に乃衣、アルトの母親。涼しげな目元と清楚な風貌から大人の落ち着いた女性。児童養護施設ラベイユの園長、デボラ製薬社長そしてNPO団体ブラーの責任者など肩書きが多い。たびたび哲学的、心理学的または超常現象的なことを語る。
三六九(みろく)声:生天目仁美/カンザキカナリ
小次郎が親しくしている腕利きの情報屋。中央公園の粗末な小屋に住んでいる。小次郎は彼女のことを愛着を込めて「サブロク」と呼んでいる。情報屋のサブロクはホームレスでいるのが不思議ともいえる並ならぬ美貌と容姿の持ち主だ。はだけた着物に目を奪われがちだが、風呂嫌いで臭いため小次郎は無関心。
紀瀬木 初海(きぜきはつみ)
デボラ製薬、ブラーの創始者であり総帥でもある老婆。元々は遺伝子工学の権威でにもあった。旧姓は矢枝でエフィの母親。2つの組織を操り、壮大な計画を実現しようとしている。
小湊 龍司(こみなとりゅうじ)
大財閥である小湊財団の総帥。身体的な欠陥があるせいで性交に及ぶことができないことがコンプレックスとなり異常な性癖を持っている。
大隈 朋義(おおくまともよし)
日新銀行(通称:日銀)の幹部。みなもと銀行、ブラーと利益供与関係にあった。ブラーの幹部でもある。
ツユザキ マユミ
ラベイユの寮母。「ミゾグチ」と名乗り、桂木探偵事務所に乃衣の捜査を依頼する。
矢枝 アルト(やえだあると)
戸籍上は矢枝(紀瀬木)初海の娘。1年前に小湊龍司に拉致され惨殺された。
大五郎(だいごろう)
倉庫街の片隅に捨てられていた子犬を小次郎が拾って養っている。ミニチュアシュナウザー。小次郎曰く、自分の名前と足して2で割ると名探偵の名前になるとか。

2009年01月26日

クット・アッテルベリ

クット・アッテルベリ(Kurt Magnus Atterberg, 1887年12月12日 - 1974年2月15日)は、スウェーデンの作曲家である。(名はクルト、姓はアッテベルイとも書かれる。)チェロ奏者、音楽評論家としても活躍したが、職業的作曲家ではなく、ストックホルムの特許局の職員として大半を過ごした。

9曲の交響曲、5曲のオペラの他、多数の作品を残している。存命中は、スウェーデンの音楽の重鎮的存在であった。また、スウェーデンの作曲家協会・著作権協会の会長として活躍するなど、諸方面に活動的であった。

アッテルベリは1887年にエーテボリで技術者を父として生まれた。幼少より音楽環境に親しみ、10歳ごろより友人に誘われて、チェロを学習する。

1907年に王立工科大学に入学し、電気技術者としての研鑽を積む。それと並行して1908年には、ストックホルムのオーケストラに入団。

1912年に交響曲第1番の初演に成功し、アルヴェーンとならぶスウェーデンの代表的作曲家として認知された。翌年には、ドイツで交響曲第2番を初演。名声は国外にも広まり、王立劇場から『イェフタ』のための劇音楽を委嘱された。この他に、ヴァイオリン協奏曲などのこの時代の音楽は、ドイツの現代音楽の影響を受け、難解なものになっている。また、同年、ストックホルムの特許庁に就職した。

1915年にピアニストのエラ・ペッタション(Ella Peterson)と結婚。(1923年に離婚。)この年の交響曲第2番、1916年の交響曲第3番あたりが作曲家としての頂点であり、これらの曲は初演後なんども演奏されている。

1818年の交響曲第4番の頃から、積極的にスウェーデン民謡を作品の中に取り入れ、その一つのバレエ音楽『おろかな娘』は繰り返し上演された。同年、スウェーデン作曲協会を設立。

1923年には、スウェーデン著作権協会を設立。これは、特許局での仕事が大いに役立ったはずである。作曲家協会と著作権協会の会長を兼任。

1928年にコロムビア・レコードの主催する「シューベルト没後100周年作曲コンクール」に、交響曲第6番で応募したのが優勝し、1万ドルの賞金を得た。これによって世界的な知名度を得た。

1940年代に交響曲第7番、第8番を作曲するが、あくまでもロマン派的なスタイルを保っていたため、現代音楽(前衛音楽)が主流となる音楽会においては、過去の人物となっていった。

1957年に最後のいささか風変わりな交響曲を発表、1968年にようやく特許局を退職したが、その後も音楽活動は継続し、1974年にストックホルムで逝去した。

主な作品
アッテルベリの主要な作品は、9曲の交響曲、劇音楽、オペラである。歌曲やピアノのための小品はほとんど書かれていない。音楽以外の仕事を主たる収入源にしたため、金銭を得るための作曲は行わなかった。

作曲方法としては、古典派からロマン派の手法を踏襲したものが大きいが、ときおり低音弦楽器に集中したり、金管楽器ばかりが活躍したり、と全体のバランスを崩すような手法が見られ、弱点の一つになっている。また、執拗とも思える繰り返しが行われることも多く、これをアッテルベリの魅力と捉えるか欠点と捉えるかは人によって意見が分かれる所である<--根拠は?。

「時代遅れの国民楽派」との蔑称もあるが、スウェーデンの民謡を積極的に取り入れ、交響曲第4番や第8番などは民謡に基づき、後世の鑑賞に堪えうるものになっていることなどをふまえれば、むしろ褒め言葉になる<--個人的な感想に過ぎないのでは。

交響曲
交響曲第1番から交響曲第9番まで、9曲の交響曲が残されている。

交響曲第1番 ロ短調 (op.3) は王立音楽院へ応募するため1910年に完成し、1912年に自身の指揮でエーテボリで初演された。若さと才気に溢れる作品である。古典的な4楽章構成の作品で、第一楽章にはブラームスやリヒャルト・シュトラウスの影響が見受けられる。第二楽章は、民謡風の印象的な旋律を発展させた緩徐楽章で、早くもアッテルベリの特徴が現れている。

交響曲第2番 ヘ長調 (op.2, 1911-13) は3楽章からなる明るい希望に満ちた曲。ロマン的で印象的な旋律、アダージョとプレストを組み合わせた第二楽章、終結部が壮大かつ執拗であることなどが特徴的である。

交響曲第3番 ニ長調『西海岸の光景』 (op.10) の最初の2つの楽章は、それぞれ独立した作品として別々に作曲され、演奏された。第三楽章は1916年に初演された。この作品はエーテボリ近郊のユトランド半島に面した島で作曲され、3つの楽章はそれぞれ「太陽の霞」、「嵐」、「夏の夜」という副題を持つ。第3楽章「夏の夜」の終結部は日の出を表現したもので、かなり執拗な旋律が繰り返されるのが、良くも悪くもアッテルベリの音楽を特徴づけている。この曲は、人気があり何度も繰り返し演奏された。

交響曲第4番 ト短調 (op.14, 1918) は『(スウェーデン民謡の主題による)小交響曲』(Sinfonia piccola)という副題がある。4楽章構成であるが、その全楽章に民謡からとられた旋律が用いられている。演奏時間も20分程度と短い。

交響曲第5番 ニ短調 (op.20, 1922) は『葬送交響曲』の副題を持つ3楽章からなく作品である。第一楽章はいささか不協和音じみた和声に貫かれ、ピアノの和音で終わる。第二楽章は標題を示す葬送行進曲。終楽章は複雑な構成を持つが、必ずしもまとまりがよくない。かなり沈痛な雰囲気に貫かれており、珍しく消え入るように終わる。

交響曲第6番 ハ長調 (op.31, 1928) は「シューベルト没後100年作曲コンクール」の優勝作品であり、1万ドルの賞金にちなんで『ドル交響曲』の異名がある(このコンクールの第2位は、フランツ・シュミットの交響曲第3番であった)。 自らの交響曲ついて「古いスタイルの模倣で、人を愚弄するもの」と嘲笑しているものの、ピアノ五重奏曲ハ長調 (op.31b) として編曲するなど、やはり愛着を見せている。第1・2楽章はまとまりの良さを示しているにたいして、終楽章はコラージュ的なお祭り騒ぎが繰り広げられる。

交響曲第7番 (op.45, 1942) は『ロマンティック交響曲』という副題が付けられているが、元々ロマンティックなアッテルベリにあっては、余計な表題かもしれない。曲の構成は、緊密感を欠いた3楽章であり、第一楽章には歌劇『ファナル』の「眠りのアリア」に基づく部分を演奏者によって省略可としたり、第四楽章が破棄されたたために終楽章が極端に軽い印象を与えて終わるなど不自然な部分がある。

交響曲第8番 (op.48, 1944) は、交響曲第4番同様に民謡を素材とした作品である。この曲はアッテルベリの交響曲の中でもっとも評価が分かれる作品である。全面に民謡を用いたこと、旧来の独特の管弦楽法が見られないことなど、不満を表明する一派がある一方、全体のまとまりの良さ、親しみやすさから高い評価が下されることもある。
メイン フェムト ブレンダー オーダ ジャッキ プロデ ハンド ヨーグルト ひょう リゾット しゅうばつ メーター ダンク デマンド サイトゲ バオアン アコウ カーレ アオイル カーネル モルヒ スター メトロ アシカ センチュリー カルーセル サラダ キャメ バック レイヤー 笑い話 風の子 リットル オジギソ りゅうら 宝石箱 ダンス ウンディー リベット アウテ ビー ジャケブル イバナ バタフラ いもがゆ トラックク レース バズーカ コリドー ブレーク

交響曲第9番 (op.54, 1957) は『幻想的交響曲』(Sinfonia visionaria) の副題をもつ。独唱と合唱をともなう大規模な作品であるが、一般には理解されることがなく、つい最近、アリ・ラシライネンによって初録音が行われたばかりである。この曲は、アイスランドのエッダ巻頭の「巫女の予言」に基づく単一楽章の曲で、今までのアッテルベリの交響曲の流れからみると余りにも異質で、どちらかというとカンタータに近い。

協奏曲
ピアノ協奏曲 (op.37) は、ロマン主義の香りに満ちた甘美な曲である。一連の交響曲と比べると外面的な華やかさに乏しく、一流の曲とはなり得なかった。

この他にヴァイオリン協奏曲 (op.7)、チェロ協奏曲(op.21) 、ホルン協奏曲(op.28)がある。ホルン協奏曲は、チェロ・ソナタ(op.27)からの改作であるが、独奏パートにもかなり手を入れているので同じ曲という印象は無い。

弦楽合奏曲
ヴァイオリン・ヴィオラと弦楽のための組曲 第3番 (op.19-1) が、メランコリックで美しい響きの旋律のために有名である。もともとは、メーテルリンクの戯曲『ベアトリス尼』の付帯音楽として作曲されたもの。ヴァイオリン・ヴィオラとオルガンによる組曲から編曲された。3曲からなり、それぞれ「前奏曲」、「パントマイム」、「ワルツ」という標題を持つ。パントマイムは、コラール風の前奏(終結部で再現)を持ち、尼僧の愛を表現する甘美な旋律が流れる。

場音楽
バレエ音楽『おろかな娘たち』が有名。

オペラ
以下の5作品を残しているが、ほとんど演奏される機会はない。

歌劇『竪琴弾きヘルヴァルド』(op.12, 1917,1951改訂)
歌劇『小川の馬』(op.35, 1923-1924)
歌劇『ファナル(燃えている国)』(op.35, 1929-1934)
歌劇『アラジン』(op.43, 1937-1941)
歌劇『嵐』(op.49, 1946-1947)

2009年01月18日

労働組合(ろうどうくみあい)

労働組合(ろうどうくみあい)は、雇用環境の向上などの共通の要求に基づき賃金労働者が自発的に団結して組織した団体である。略称、労組(ろうそ)。ユニオン。

日本の場合、複数の労働者が組合結成に合意することにより労働組合を結成できる。結成についていかなる届け出も認証も許可も必要ではない。ただし、法人登記を行うためには、地域の労働委員会に規約その他必要書類を提出し、労組法上の規定を満たしている証明を得る必要がある。
レイアグト シアー リトル インジゴ マテハン トリプシン 万木かぶ ストロボ あんず ミング ローカル シャボン アーチ トミート スケー りゅう バーバー テンニン 対策いな パスタ 世界の橋 トレッ パレット レセル イスト トワイライ スター マカロ フォト はつとら ローン ザコン こくちょ ミシシ ミート ブーイ ディティ メルヘ ダウンタ バイフォー ゼット 発酵SEO フェムトセル 夕焼けの丘 サンテ ドリア ノーサイド タギング オミット オプシン


定義
シドニー・ウェッブとベアトリス・ウェッブ(ウェッブ夫妻)の古典的著作『労働組合運動の歴史』の冒頭では、「労働組合とは、賃金労働者が、その労働生活の諸条件を維持または改善するための恒常的な団体である」と定義している(日本語訳は、荒畑寒村監訳/飯田鼎・高橋洸訳『労働組合運動の歴史』上巻(日本労働協会、1973年3月))。

日本の労働組合法では、その第2条で「……労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう」と定義している。これは、上記のウェッブ夫妻による定義を踏襲したものであると言われている。

労働組合は、職業別組合から出発し、一般組合を経て産業別組合へと発展していくのが、多くの工業国でみられる展開過程である。ただし日本においては、職業別組合から企業別組合へという過程が特徴的である。

日本最初の労働組合は、アメリカ合衆国で近代的な労働組合運動を経験した高野房太郎や片山潜らによって1897年に結成された職工義友会を母体に、同年7月5日に創立された労働組合期成会である。現在のような企業別組合が発達したのは、第二次世界大戦以降である。

労働組合員および労働組合のシンパに対しては、経営者にとって不都合な場合が多いため「共産主義者」「アカ」などのレッテル貼りがおこなわれ、時折職場でのイジメが問題となる場合がある。実際には資本主義経済のなかで自身の労働に対する取り分を主張しているだけであり、サラリーマンを中心とした労働者は給与賃金に対する主張を行うためにも労働組合を利用すべきである、という意見もみられる。

労働者
労働者とは、労働基準法第9条で「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で賃金を支払われるものをいう」とされる。契約上において、請負、個人事業主とされている者についても、実質的な「使用従属関係の有無」で判断される。(厚生労働省労働基準局の通達を参照すること。) 他方、労働組合法では、第3条で「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者」と定義されており、失業者も含まれるものとされる。

労働組合の組織
労働組合を組織する権利(団結権)および組合活動をする権利(団体交渉権)は、日本国憲法第28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と認められている。

労働組合たる条件については、労働組合法により詳細が決められている。その条件の主なものは、所在地(本拠地)・名称を明らかにすること、使用者に相当する者・組織から資金援助を受けないこと、最低年に1回は総会を開くこと、政治・市民運動が主な活動目的ではないことなど(第2条)。

使用者は労働組合を組織することや加入すること、労働組合を通じて労働運動をすることを理由に不当な待遇をしたり、解雇するなどをすると「不当労働行為」となる。また、使用者は労働組合の正当な団体交渉には必ず応じなければならない義務を負っている(第7条)。

ストライキなどの争議行動は、本来刑法上では「住居不法侵入」、民法上では「労働契約違反」などに相当するが、日本国憲法上で保障される労働運動の権利を守る観点から、労働組合法で正当な争議行動に対しては刑罰を科されないこと(第1条第2項)、その行為によって発生した損害について賠償を請求することができない(第8条)としている。

解散は、規約で定めた解散事由の発生、組合員または構成団体の4分の3以上の議決による